○ 考察を進めてわかったルックバックの「すごさ」
ここからは考察を終えてからの、個人的な感想です。
考察が深まるほど見えてくる伏線
ここまで、何度か読み返しながらこの考察?を書いてきましたが、今になってようやく「ルックバック」のすごさがわかりました。気づくのが遅くて恥ずかしい。
実は別世界軸説を抜け出すまで、机のハガキの意味にも気づかなかったり…。
引きこもる小学校時代の京本と、通夜の夜、京本の部屋の前でふさぎ込む藤野。物語が進むきっかけが、同じドアからお互いの4コマ漫画が「同じ不可抗力」で相手に届いていることにも全然気づいていませんでした。
他にも京本が物音を立てる立てないの分岐や、京本が「もっと絵がうまくなりたい」と美大へ行った理由、「藤野歩」と大きくサインしたはんてんの役割など…。
「それだた見落としているだけじゃね?」と言われればそれまでですが、「これがこう後に繋がってたんだ」と、見えなかったものが次々見えてくるのは本当に面白かった。
考察なしでも伝わってくるものも沢山ある
正直、これを書き始めるまでは、初めて見る藤本タツキ先生の画力・構図・表現を目の当たりにして「たしかにすごいなこれ」「チェンソーマンの人ってこんなに絵がうまいんだ」「沙村広明の絵に似てるなー」程度しか感想が出ないまま読んでいました。
そんな曖昧さでも、京本の部屋に入って振り向いてからの、ラストへと続く怒涛のカットの連続には圧倒された。最後、20代女性のラフな部屋着の後ろ姿なのに、あのみなぎる迫力。一切の表情も見えないのに、強い決意が伝わってくる。とんでもない画力と表現力ですね。
マンガを読んだような気がしないストーリー
才能ある二人の少女のエネルギーあふれる青春。二人の関係は理想の状態になる手前で壊れてしまい、不条理な現実により、不完全なまま修復する機会を永遠に失ってしまった。それでも残された一人は、歪な形でも砕けなくなる強さを最後に受け取り、現実に立ち向かう。
なんか、自分の知ってる”マンガ”と違う!…マンガでこんな気分になったのは初めてかも知れない。
ストーリーだけでも震えるのに、それがこうして考えを整理して考察しながら読むと、自分の気づきに応じて物語の姿が変わっていく。
実はまだ、最後に藤野が窓に貼る4コマが「背中を見て」なのか「小学校卒業の日に藤野が描いた4コマ」なのか、確信が持てません。なにが描いてあるのかわからないようにしてあるのは、そこまでに見つけたヒントによって、見え方が変わるようになっているのだと思います。
マンガを読んでいるのに、まるでベストエンドを模索する、マルチエンドのゲームをやっているようでした。
△ この考察は必要だったのか?
このルックバックが公開された時、ツイッターで「考察が必要」とトレンドが賑わっていた記憶があります。
そして実際読んでみて疑問に思うことがあったので、こうして普段はやらない考察(と言って良いのだろうか)をしてみたのですが、
世の中のルックバック読者がしてる考察と、私がやった考察は同じものなのだろうか!
という恥ずかしさと疑念が湧いてきました。
というのも、私の考察点は「京本のパートは別世界か妄想か」という点。
これだけ長々と書いたあとに言うのものなんですが、これはちゃんと細部まで見て読んでいれば、はじめから必要なかったかもしれない考察な気もします。
スマホで読んだから変な読み方をしてしまった?
私は一昨日ツイッターで流れてきた「ルックバック書籍化!」というツイートを見て、「あのマンガそんなに話題なんだ。ここのリンクから読めるの? え?無料なの?」と、読み始めました。
そして、普段からスマホでマンガを読むことがないので、画面の見切れやクセのダブルタップ拡大しようとしては間違ってページが進み、常にモヤモヤしながら読み進めていた。
つまり、拡大したりして細部まで見ればわかることを、わからないまま最後まで読んでしまったのです。そして「あれ? これ平行世界もの?」という変な読み方をしてしまった。
この考察の末に見えた自分なりの着地点は、「藤野が破ったはずの紙片がない」という点に気づいただけで見えてくるものなので、ちゃんと細部まで読んでいれば初めから考察も必要なく読めたのでは…?
と今になって思えてきました…。世の中のルックバックの考察というのが全然違う話での考察だったらどうしよう。
★ ルックバックはできるだけ大きな画面で読もう
ということで、今、上に貼ったツイートのリンクからPCでルックバックを読んでみたんです。
全然違う!なにこれ!?
画面が大事なところで途切れていない!
最後の藤野の背中は、だんだんと大きくなってくる描写だったのか。スマホだと、全然わからなかった。途中で画面が途切れてたから。
ルックバックを読む時は、できるだけ大きな画面で読もう。
書籍化は9月3日に発売だそうです。たぶん、それで読むのが一番だよね。
もう予約は受け付けているらしい。これ完全版コミックの大きさで出してくれないかな。
△ この作品は京都アニメーションへの追悼作品なのか?
最後に、この作品と京都アニメーションの関係について考えてみる。
ルックバック公開時、「京都アニメーション」と「追悼」が一緒に話題になっていたから、ルックバックはそういう意図の作品なんだろうとは読む前から思っていた。
実際、”絵を書いている人たちがいる場所”へ侵入した”京都アニメーション事件の容疑者と同じことを言う男”に”京”本が襲われる。
ただしこれは現実の京本に起きた事件の犯人ではなく、藤野の妄想世界での犯人の言葉。
そしてその言葉を放つ男を藤野は蹴り倒し、ぶん殴り、京本は無事無傷で家に帰る。藤野は勢い余って骨折したが、「最近また描き始めたよ! 連載できたらアシスタントになってね!」と言い残してこの世界から去っていく。
追悼、そして再興への祈りの意図はあるのは間違いないと思う。だたそれが、この作品の主題なのか、あえて隠した副題なのかはわかりません。
ただ私でもわかるのは、これほどあらゆる面で恐ろしい完成度を見せつける作品を読み切りとして作り、それほど大きな寓意を込めて、作品としてまとめ仕上げた藤本タツキ先生の手腕は、神がかっているということ。
チェンソーマン、読んでみようかな。
※修正された襲撃犯について
8月2日に、美大へ侵入した男のセリフと事件を報じる新聞の描写が修正されました。
はっきりと書かれていませんが、修正前のセリフや新聞に載った犯人の言葉から、
「犯人は幻聴や被害妄想から犯行に走った、統合失調症者のように描写されている」
と多くの人から指摘されたようです。
その上で、
”殺人事件を起こした人物が統合失調症の症状を見せている”というのは、実際に統合失調症を患っている人への差別と偏見を助長する。
との指摘と、それを受けた編集部の判断によっての修正でした。
私個人としては、修正前の犯人のセリフは、「俺の作品をパクったんだろ!?」というセリフを自然と出すための導線としか見えてませんでした。
・「京アニ事件への追悼」というサブテーマ
→それを表面上に出す重要なセリフ
→そのセリフのための幻聴と妄想設定
この程度にしか見えていませんでした。「修正された」と聞いて、確認するまでは”京アニ事件を彷彿させる部分が不適切で修正”だと思っていました。
経緯を知れば修正は致し方ない、と納得はできます。
もし幻聴や妄想に取り憑かれている設定が、「俺の作品をパクったんだろ」と言わせるためでしかないのなら、それは誰も傷つかないものへ変えても良いと思います。変更後の犯人の人物設定がまた議論を呼びそうですが、差別や偏見といった問題からは離れたと思います。
ただ、修正後の新聞記事や人物描写が若干チープで、全体が繋がった空気の作品中に、落差のある部分ができたように感じられて残念。取り急ぎの修正だと思われますが、すこし投げやりにも感じました。
書籍版ではもっと練られてくると良いのですが。
※今回の修正で「京アニ追悼作品」ではないのが見えた
今回の修正で、幻聴や被害妄想のセリフだけでなく、京アニ事件を想起させる「俺の作品をパクったんだろ!」まで変えているとなると、やはりルックバックは”京アニ追悼”をメインテーマにした物語ではないんでしょうね。
あくまでルックバックは藤野と京本の物語で、京アニは物語に込められた寓意的なサブテーマなんでしょう。それにしてもすごい作品です。
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